読むだけで幸せ脳になる 無料メール講座
今すぐ「幸福な人生」に変えたいあなたへ
こんなに簡単に幸せになれる!なんて信じられますか?
もっと簡単に、もっと自由に、しかも、好ましい人間関係を築きながら、あなたの望む人生を実現する方法を無料で公開しています。
もしあなたが、今このような状態にありましたら、チャンスかもしれません。
「何のために生きているのか分からない」
「色々と恵まれているのに何となく虚しい」
「毎日が同じことのくり返しでいいのだろうか?」
「今のままで本当に後悔がないか不安」
「なぜ次から次へと問題が起きるのだろう?」
これらの悩みは深刻で辛いですよね。
実は私も同じ悩みで苦しんできました…
チャンスと言ったのは、、
特別すぐれていない極めて平凡な私でも、これらの問題を解決できたからです。
現在の私はと言えば、、、
多くの人たちを幸福に導く「幸せ」を見つけて、毎日を楽しく生きています。
こんな奇跡的なことが出来たのも、、、
世の中のすべての問題を解決する答えは、ブッダやキリストをはじめとして空海や龍樹(ナーガールジュナ)などの聖人、そして儒教、道教、ヨガなどの教えの中にすべてあるからです。
時代を超えて世界中の人たちが、これらの教えによって救われ成功したという事実があります。
ところが、たとえ素晴らしい教えでも、「真理」を知らないと、まったく違う方向へと進みます。
文明の進んだ現在でも、本当の「ブッダの教え」を知らない人たちは、古い仏教にしがみつきます。
お寺や神社に参るのは、お正月など特別の日だけだと思う人が多いようですが、手を合わすと一瞬にして「幸福の扉」が開くということを知っているでしょうか?
真の「仏教」を知ると、現在コーチングで使われているNLPや、ナポレオンヒルの「思考は現実化する」なども仏教を元にしたものだと理解することでしょう。
自己啓発や成功法則で決して解決できない心とスピリチュアルの分野も、仏教では解決できます!
ブッダが説いた教えはあまりに多く、すべてをお伝えすることはできませんが、私たちに必要な部分をピックアップして、メールでご紹介したいと思います。
人生のお気づきになれば幸いです。
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【スペシャル特典記事】
➡『もし、余命10年と宣告を受けたらどうしますか?』
もし、余命10年と宣告を受けたらどうしますか?
突然ですが、「あなたは何歳になったら死にますか?」
いきなり、怖い質問をしてすみません。しかし、人生で「幸せ」を得たいのであれば、この質問はとても重要です。
それでは、もう一度質問します。
「あなたは、あと何年生きられますか?」
もし、あなたの年齢が40歳で、残りの寿命が残り50年だったら、、、
ジャネーの法則によると、時間の経過の早さは、年齢に比例して加速するとのことです。
例えば、同じ一年間でも
・5歳のときの一年は、全人生の1/5
・50歳のときの一年は、全人生の1/50
よって、50歳の人間にとっての「10年間」は、5歳の人間にとっての「1年間」になる訳です。つまり、50歳の人の感覚では、5歳の時の「10年間」しか生きられないことになるのです。
これって、全身癌になり、医師から余命宣告されたのと同じことですよね。
すみません。始めから暗い話をして。。
このように、年齢を重ねるごとに時の経つのが早くなる理由は、毎日が同じことの繰り返しでマンネリ化するからだと言われています。
ですから、充実した人生を送るためには、マンネリを脱皮して「新鮮味」を味わうことが大事です。
そして、この事実を認識するかしないかで、今後の生き方が変わっていきます。
たとえ余命があと10年でも、残りの人生を楽しく生きるか、それとも暗く生きるかでは、天国と地獄の差がつくからです。
このレポートを読まれて、「覚り」を得てもらえたら幸いです。
仏教の目的は、「地球上の生きとし生けるものが、幸せに生きること」です。ところが、いつも不満ばかり。。どう生きればいいのか分からなく、ただ時間に流されて生きている。
この事実から目を覚ますことを「覚り」と言います。
ブッダの教えによると、、人はみんな、「幸福の種(仏性)」を持って生まれてきます。だから、時とともに「幸福の種」は芽を出して、それぞれ幸せの花が咲くはずです。
ところが、現実はというと、、
時に流され、自分の思い通りにならないことの連続。そのため、喜びの人生というよりは、不満を持つ人の方が多いようです。
それでも、死ぬときになると、多くの人はあきらめの境地になり、「良い人生だった。」と言うかもしれませんが、あなたはそれで良いのでしょうか?
<ありのままに生きる>
真の幸福とは、どんな状態のことを指すと思いますか?
幸福とは物心両面で満足することです。どちらか片方だけ満足しても、片方が満たされていなければ、本当に幸せだったと言えません。
たとえ裕福でなくても、お金に困っていなければ「私は幸せです」と言えます。しかし、貧困で苦しんでいる状態で「幸せです」と言っても、それは嘘になります。
欲しいものやなりたい事は、人それぞれ違います。欲望や満足するものは、みんな違うからです。人は生まれる時に、「個性」という「幸福の種」を神様から授かっているからです。
個性を他人や社会のために活かすことができるようになると、嬉しくて心がワクワクします。
ですから、幸福になるには、「なりたい自分」になる必要があります。そのためには、本当の自分を発見しないといけません。
他人と自分は違います。自分は自分です。ところが、家族の中でも、学校でも、社会でも、自分を押し殺して周囲に合わさないといけない。そう信じ込まされて、本当の自分を見失っているかもしれません。
自分にたいして、ありのままに生きると心が喜びます。そのように心が出来ています。魂は、自分自身の成長を喜びます。
<なりたい自分になれる>
本当にやりたいことであれば、努力が苦ではなくなります。努力が楽しみになります。寝ても起きても、個性を発揮できることが楽しいのです。
「好きこそものの上手なれ」という喩えがありますが、歌手、画家、サッカー、勉強、仕事、どんな部門でも好きなことに熱中すると、他人よりも上手くなれます。
他人よりも出来るようになると、周囲からも認められて尊敬されるでしょう。すると、自信が生まれ、後輩を指導したり、自分へのファンをもっと喜ばしたいと考えるようになります。一つのことを達成すると、人は精神的に成長して、更に上を目指すようになります。
(心理学者マズローの欲求5段階説)
この段階になると、すべてが楽しく、さらに実力が付き大きな成果も生まれるはずです。
ところが現実をみると、、
「なりたい自分」になった人は、ほんの一部の人たちだけです。どうしてでしょう?
<自分が信じられない>
なりたい自分になれない人の特徴は、「私はできない」と言います。自分には、能力もなければ、知識もない、お金もない、人脈もない、何もない。そのため、「自身がない」と信じているのです。
ところで、、「できない」とか「無い」というのは、誰との比較でしょうか?
自分より有る人と比べれば無いことになりますが、自分と同じか無い人と比較すれば、「私はできる人」です。
ところが、それでも自分自身を信じられないのは、それまでの悪い体験があるからです。
子どもの頃に頑張っても出来なかった、上司から「出来ない奴!」と叱られた。そういう体験があると、「私は何もできないダメな奴」だと信じ込むようになります。
その信じていることは、果たして真実でしょうか?
仏教(空の哲学)では、五蘊(ごうん:感覚、思考、感情、記憶、意志)には実体がないと言います。
頭で想像していることは妄想であり、妄想からは、悪い感情が生まれます。これを煩悩といいます。
この煩悩が、間違った意志決定を起こさせるのです。「無理だ」「できない」と言ってるのは悪魔の囁きなのです。それを信じていると、心に蓋がされ、芽を出さずに幸福の種は腐ってしまいます。
あなたが成功できないとか幸せをつかめなかったのは、煩悩が原因だったのです。
<煩悩が地獄へと誘う>
「なりたい自分になる」ことを妨げる精神作用を煩悩といいますが、人間の欲望は、身体や心を悩まし、かき乱し、わずらわせます。
想定外の障害が発生すると、人は冷静さを失いパニックを起こします。思考が停止して判断力を失うと、行動すればするほど状況は悪化します。
どうすれば、事態は改善できると思いますか?
その解決法は、たった一つ、「冷静になる!」です。
ところが、その単純なことをできないのが、人間の愚かさです。どれだけ賢い人でも、最後は感情が理性に勝ちます。
冷静を失う主な原因は、我欲と自分自身への執着です。我欲や執着が強くなると、貪り(むさぼり)・怒り・愚かさが表面に出てきます。そして、誤った意志決定を犯し、愚かな言葉や行動をしてしまい、取り返しのつかないことになるのは、よくあることです。
<煩悩を払いのけると幸せになる>
「煩悩」をなくすと、人はみんな幸せになれます。
ところが、そう簡単に、煩悩は簡単に取り除くことはできません。それは、本能である欲と信念(体験)が煩悩を発生させるからです。
仏教では煩悩を横におくために、心に「仏」を入れます。(仏や神を出します)
仏の心になると、煩悩は消えてしまうからです。その瞬間、今までのことが嘘だったように、苦しみから解放されます。
仏が現れると、神通力(潜在意識・潜在能力)が使えるようになるので、次々と不思議なことが起きてきます。それは、嬉しいことです。
ところが、忘れた頃に、煩悩は自然発生的に出てきます。
煩悩は妄想なので、周囲の状況や自分の状態が変われば、それが引き金(縁)となって、何度でも出てきます。これが問題なのです。
<現在の生活をしながら幸せになるには>
煩悩に負けないようにするためには、(環境が整っているお寺に)出家するのが良いかもしれません。
しかし、一般人の私たちには家族や仕事があり、修行僧のような戒律の厳しい生活など到底無理な話です。
それだけではありません。現在のような煩悩にまみれた社会で生活すると、煩悩から自分自身を守ることさえ厳しいのです。
だからでしょうか?
高い覚りは、在家の生活からしか得ることはできないと言われるのでしょう。(※煩悩即菩提)
それほど、在家で(型にはまった)仏教を行じるのは難しいことなのです。
だから、在家仏教で一番のネックになるのは、続かないことです。
始めにやる気を出しても、続かなければ意味がありません。仏道を続けるためには、在家でもできるように、簡単であることが重要なのです。
<新解説ブッダの教え>
ブッダの教えの真髄は、「みんなが楽しい生活をおくれる」ことです。
幸せになるためには、仏に手を合わせて「仏と一体化する」ことが基本になります。仏性を目覚めさせないと、煩悩に負けてしまうからです。
沢山の経典に書かれている方法は、その時代、その人に応じて説かれた方便の教えです。ブッダは、「方法」に囚われてはいけない(重要なのは覚り)と、経典の中で説いています。
ここで重要なのは、仏を信じる念です。
一心に念じることで、仏の声を聞くことができます。
仏教は、ブッダが誕生以前からあったヨーガやバラモン教から進化した教えです。そのため、真言(マントラ)や瞑想が説かれています。
真言(マントラ)には仏と一体化する力があり、瞑想は自分の心の状態を知ることができます。
また、ヨーガの呼吸や運動を行うと心身を健康にできます。
幸せになるには、知識だけではなく実践が大事なのです。
しかし、これらの方法を本格的に行っていると、本来の仏道(覚り・幸福への道)を忘れて離れてしまうことになります。
これらの方法は、あくまでも仏道のための補助的な行為です。仏教を実践しながら学ぶと、より早く覚りを得るようになるので、上手に使うといいでしょう。
多忙な私たちでも簡単にできて、効果のある方法だけを実践されることをおすすめします。仏教の目的は「物心両面で幸福になる」ことを忘れないようにしましょう。
自分自身が幸せになると、「他人を幸せにしたい」と思うようになります。それが、ブッダの究極の願いでもあります。
下記のレポートには、在家生活をしながらでも幸福になれる、簡単な方法をご紹介しています。ご参考にしていただければ幸いです。
アメブロ『ブッダの教え』の中で、魂のコーチングをしています。是非、ご覧になってください。
ブログ|凡人だから覚れるブッダの教え (ameblo.jp)
スピリチュアル・コーチ 上林登
(スピリチュアルとは:魂の/精神的な/霊的な/活気的な)
覚りは自己満足するためのものではない!大乗の精神でいきるもの
覚りを得るために「ブッダの教えを学ぶ」のではない。
ブッダが覚ったのは、「一切空」と「仏性」という真実です。
空については、これまで伝えてきたことを要約すると…
すべての現象は煩悩から起きているから、いずれ消滅するものであるいう真理。
だから、その真実を意識して生きると、自然に調和し幸福な人生を送ることができるのだと。
仏性とは、「人は皆ブッダになれる!」ということであって、
だから「覚りの境地に達する潜在能力」が誰にでも備わっています。
※覚りの境地になると、何でもできる(自己実現)ようになります。
世界中の人が、それぞれの幸福な人生を送られるように、私の覚りを知ったあなたが「覚りのリーダーになってください」とブッダは教えてくれています。
ブッダの教えを分かりやすくお伝えするために、物語を書いています。是非ご覧になってください。
空が理解できると一瞬で幸福になれる!それを悟りと言う
ブッダは何を悟ったのか?
それは「空」
仏教の神髄といわれている般若心経で、はっきりと述べられています。
観自在菩薩が究極の智慧を完成させたとき(観自在菩薩行深般若波羅蜜多時)
五蘊はすべて空だということを見抜き、(照見五蘊皆空)
一切の苦厄を消し去った(度一切苦厄)舎利子よ。(舎利子)
私たちの身体(色)は空に他ならず、また空は色に他ならない(色不異空 空不異色)
色とはすなわち空のことであり、空とは色のことである(色即是空 空即是色)
私たちの感覚や意識もこれと同じく空である(受想行識亦復如是)
(つまるところ、私たちを構成する身体と意識、その全ては空といえる。)
引用:科学と仏教 菩提樹の下でブッダは何を覚ったのか?
http://science-and-buddhism.com/chapter-7/
この世の真実は「空」です。
人が生きている世界というのは、自身の脳で見えている世界です。
脳のイメージですから、元々存在していないものです。
宇宙は空を嫌います。何かを入れて満たそうとする力が働きます。それが思考です。
思考にはエネルギーがあり、縁によってエネルギーが集合すると、大きなエネルギーが構成されて、現実世界に表面化したものが現れるのです。
それを、縁起といいます。
縁起には、善も悪もありません。
ところが、無意識に思考すると悪い想像の方が多い。悪い感情を抱く。
そのため、生老病死の苦が起きると。
この空の真理を理解することから、ブッダの信仰は始まります。
空の箱に都合の悪い(悪い結果を導く)思考が侵入しないように、先に都合の良い(良い結果を導く)思考を入れる必要があるのです。
ブッダの教えは曖昧で、どのようにでも受け取ることができます。しかし、私たちにとって重要なのは、幸福になること。(幸福の定義は人によりことなるため、ここでは自己実現を指します)
世界中の人が幸福になり、平和に暮らすための方法、
それがブッダの悟りです。
布施を実践すると自己実現することが容易になる!
布施(六波羅蜜)
法華経では、悟りの境地を得るための実践として6つの修行(六波羅蜜)を教えてくれています。
その修行とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧です。
この内の「布施行」についてお話します。
布施には三つがあり、
1、財施…経済的に困っている人を助ける行為。金銭を与える、お金を稼ぐ助けをする。
2、無畏施…他人の恐怖心を取り除く助けをする。安心を与える。
3、法施…自身が持つ知識を他人の役に立てるために使う。他人にブッダの教えを伝え、幸福になる助けを与える。
布施とは、ブッダの教えの原点である「大慈悲」の実践です。布施行を実践することによって、苦の原因である「執着心」から脱することができます。
執着(煩悩)がなくなると、あなたの脳は自動的に智慧(潜在意識)にアクセスします。
それはどういうことかと言うと、
どんなことでも実現可能になるのです!
煩悩を捨てると潜在意識にアクセスできる
悟りの境地に達するためには、次に挙げる事を実践することがポイントです。
(訓読)
「そのときの王とはすなわち我が身これなり。ときの仙人とはいまの提婆達多これなり。提婆達多が善知識に由るがゆえに、我れをして六波羅蜜・慈悲喜捨・三十二相・八十種好・紫磨金色・十力・四無所畏・四摂法・十八不共・神通道力を具足せしめたり。等正覚を成じて広く衆生を度すること、みな提婆達多が善知識に因るがゆえなり。」
もろもろの四衆に告げたまわく、
「提婆達多さって後、無量劫を過ぎて、まさに成仏することを得べし。号をば天王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。
(現在語訳)
佛は諸々の比丘に告げられた、その時の王とはすなわち我が身のことである。その時の仙人とは今の提婆逹多なのである。提婆逹多が善知識(ぜんちしき:善良な友人)であるが故に、我に対して六波羅蜜・慈悲喜捨(じひきしゃ:四無量心のことで、慈は与楽であり相手の幸福を望む心、悲は抜苦であり苦しみを除いてあげたいと思う心、喜は他者の幸福を共に喜ぶ心、捨は差別しないで平然と接してあげる心)・三十二相・八十種好・紫磨金色(しまこんじき:紫色した最高質の金の色)・十力(じゅうり
き:佛に備わる十種の智力)・四無所畏・四攝法(ししょうぼう:布施・慈愛の言葉・利他の行為・他人との協力の四つ)・十八不共(じゅうはちふぐ:不共とは共通でない意味であり、佛と菩薩のみにあり他には共通しない十八種の能力の特色)・神通道力を具足せしめたのである。我が等正覺を成就して広く衆生を済度できることも、皆提婆逹多が善知識である因果が理由である。
引用:妙法蓮華経提婆達多品第十二
以前に慈悲喜捨の「慈悲」と「喜」についてお話しましたが、今回は「捨」について説明しますね。
「捨」は捨てると読みますが、煩悩を捨てるということです。人は煩悩があるがために、冷静に物事を判断することができません。
それは、煩悩が感情の引き金を引くからです。
ブッダは言います。
冷静になるだけで、自然と仏の智恵とつながると。
人とは、そのように出来ているのです。(これを仏性といいます)
冷静になり智慧(潜在意識)につながると、神力が発揮できるようになります。
是非お試しになってください。
魂のレベルによって「受け取る恩恵に差が生まれる」って知っていましたか?
妙法蓮華経薬草喩品第五
ブッダの教え(法華経)の中でも、「草木の喩」は有名です。説明する前に、先ず現在語訳(要約)をご覧ください。
この世界の山や川や谷や大地には、草や木や林や様々な薬草などが生えている。
その種類は諸々で色や形も異なる。空を見上げると、一点の雲がまたたく大地を覆い、一時に等しく雨をそそぐ。その潤いはすべての草木をみたす。
根、茎、枝、葉の小さなもの、中くらいのもの、大きいものの区別無く一切の草木に雨はふりそそぐ。
諸々の草木は、それぞれの大きさによって雨の恵みの受け方が異なる。
雨を仏の教えとすれば、私たち人間もこのことと同じように、それぞれの能力、素質に応じて仏の教えを理解することができる。
空に現れた雲は一つであるが、その雲から降る雨は様々な草木をうるおし、それぞれの草木はそれによって大きく育ち、花を咲かせ、実を結ぶのである。
大自然の恩恵や智慧は、すべての人間にたいして平等に与えらています。
「あの人は運がいい」、「私は前世の行いが悪いから運も悪い」という人がいますが、
ブッダは、「そんなことはない!」ときっぱりと言いきります。
それは、「あなたの悟りの段階(思考レベル)が原因で、同じ情報でも受け取り方が異なるからだ。」と。
大きな恩恵を受けようと考えるのであれば、魂のレベルを高めないといけません。魂のレベルを高めるためには、ブッダが言う「大慈大悲と喜捨」を実践することで身に付きます。
悟りのレベルが向上すると、迷いや苦労がなくなります。あるのは、心の平穏と世界のためにワクワクと働く喜び、そして、善人との交わりだけになります。
そのことを2500年も伝えているのが、ブッダの教え(悟り)です。