その言葉から何を連想するかによって将来の結果が見える
ブッダの説法は、始めから終わりまで一貫していることがあります。
それは、空。
だから、因縁果の法則によって、仮に生じても消えてしまう。だから、それに囚われてはいけない。
この真実を知らずして、他の教えを理解することはできないでしょう。
(訓読)無量義経説法本
如来の得道より以来 四十余年、常に衆生の為に 諸法の四相の義、苦の義、空の義、無常、無我、無大、無小、無生、無滅、一相、無相、法性、法相、本来空寂、不来、不去、不出、不没を演説したもう
(現代語訳)
世尊は、悟りを得られてから、四十余年の間、常に人々のために様々な教えを説かれてきました。それは、縁起によるものは生住異滅という変化をするという「四相の義」、縁起によることは苦であるとする「苦の義」、事物・現象は、縁起によって仮に生じ、滅するので、そのものには実体はないとする「空の義」、縁起によって生滅するものは変化するという「無常の義」、自分という認識、自分のものという認識を否定する「無我の義」、大・小にとらわれずに「無大・無小」と観ること、生・滅にとらわれずに「無生・無滅」と観ること、真理は一つであるという「一相」、有無の相を超越した「無相」、一切のものごとの真理としての性である「法性」、真理としての相である「法相」、本来は空であり寂であるとする「本来空寂」、そして「不来・不去」、「不出・不没」という涅槃の境地を演説されてきました。
引用:無量義経説法本
ブッダが説かれた教えでは、「空」が基礎にあります。
脳(心)の中は、元々何も存在しないが、いつしかどこからかともなく考えが出てくる(有る)。
それが元になり、想像が想像を生み、感情が起きる。すると、本当に苦しさや期待を感じることになります。
そして、因縁果の法則から、想像から現実の結果ができるので、これが問題です。
これだけだと難しそうに聞こえるかもしれませんが、たとえば、「夢」がそうです。夢で見たことは、目が覚めると馬鹿げた現実離れしたものです。
しかし、夢を見ている時には、怖い、辛い、悲しい、、、または、嬉しい、楽しい、、、
でも、目が覚めると、それらは消えていきますよね。
実は、夢と同じことが、日中でも起きていると知ったらどうでしょうか。
人は一日に2万~6万回思考するといわれていますから、起きている時に夢を見ていても変ではないのです。
この時の夢(想像)は、寝ている時ではないので、現実に近いリアルな夢です。そのため、余計に感情が入ってしまうのです。
どうしてこのような事が起きるかというと、人の脳は言葉から連想をするようになっているからです。
たとえば、「コロナ」という言葉を聞くと(見ると)、今なら新型コロナウイルス対策を連想するのが一般的です。
しかし、年配で車が好きな人なら、若い頃に乗っていたトヨタ自動車のコロナを思い出すかもしれません。
そして、連想はここだけで止まりません。その当時付き合っていた友達や彼女との思い出が浮かぶようになるのです。
その思い出が良い事であれば、「コロナ」は良い響きになるのです。
しかし、トヨタのコロナで交通事故した体験があれば、「コロナ」と聞くだけで不安と恐怖に襲われてしまうかもしれないのです。
このように、人は言葉を聞くと(見ると)、自分の体験や価値観に合わせて連想をします。しかし、それが問題になっていることが多いのですが、連想を止めることは難しいです。
それでは、どのようにすれば良いと思いますか?
それは、昨日のブログに書いた「如是相」です。
結果を変えるためには、まず相(姿・形)を変えることが重要です。
顔を上げる、楽しい顔をする、姿勢をよくする、大きな声を出す、楽しい声を出す、良く動くということを意識的に作るのです。
状態を良くすれば、言葉を良いことに結びつけるし、悪い状態であれば悪いことを連想するからです。
状態を変えれば、連想も変わるは真実です。