もし、余命10年と宣告を受けたらどうしますか?
突然ですが、「あなたは何歳になったら死にますか?」
いきなり、怖い質問をしてすみません。しかし、人生で「幸せ」を得たいのであれば、この質問はとても重要です。
それでは、もう一度質問します。
「あなたは、あと何年生きられますか?」
もし、あなたの年齢が40歳で、残りの寿命が残り50年だったら、、、
ジャネーの法則によると、時間の経過の早さは、年齢に比例して加速するとのことです。
例えば、同じ一年間でも
・5歳のときの一年は、全人生の1/5
・50歳のときの一年は、全人生の1/50
よって、50歳の人間にとっての「10年間」は、5歳の人間にとっての「1年間」になる訳です。つまり、50歳の人の感覚では、5歳の時の「10年間」しか生きられないことになるのです。
これって、全身癌になり、医師から余命宣告されたのと同じことですよね。
すみません。始めから暗い話をして。。
このように、年齢を重ねるごとに時の経つのが早くなる理由は、毎日が同じことの繰り返しでマンネリ化するからだと言われています。
ですから、充実した人生を送るためには、マンネリを脱皮して「新鮮味」を味わうことが大事です。
そして、この事実を認識するかしないかで、今後の生き方が変わっていきます。
たとえ余命があと10年でも、残りの人生を楽しく生きるか、それとも暗く生きるかでは、天国と地獄の差がつくからです。
このレポートを読まれて、「覚り」を得てもらえたら幸いです。
仏教の目的は、「地球上の生きとし生けるものが、幸せに生きること」です。ところが、いつも不満ばかり。。どう生きればいいのか分からなく、ただ時間に流されて生きている。
この事実から目を覚ますことを「覚り」と言います。
ブッダの教えによると、、人はみんな、「幸福の種(仏性)」を持って生まれてきます。だから、時とともに「幸福の種」は芽を出して、それぞれ幸せの花が咲くはずです。
ところが、現実はというと、、
時に流され、自分の思い通りにならないことの連続。そのため、喜びの人生というよりは、不満を持つ人の方が多いようです。
それでも、死ぬときになると、多くの人はあきらめの境地になり、「良い人生だった。」と言うかもしれませんが、あなたはそれで良いのでしょうか?
<ありのままに生きる>
真の幸福とは、どんな状態のことを指すと思いますか?
幸福とは物心両面で満足することです。どちらか片方だけ満足しても、片方が満たされていなければ、本当に幸せだったと言えません。
たとえ裕福でなくても、お金に困っていなければ「私は幸せです」と言えます。しかし、貧困で苦しんでいる状態で「幸せです」と言っても、それは嘘になります。
欲しいものやなりたい事は、人それぞれ違います。欲望や満足するものは、みんな違うからです。人は生まれる時に、「個性」という「幸福の種」を神様から授かっているからです。
個性を他人や社会のために活かすことができるようになると、嬉しくて心がワクワクします。
ですから、幸福になるには、「なりたい自分」になる必要があります。そのためには、本当の自分を発見しないといけません。
他人と自分は違います。自分は自分です。ところが、家族の中でも、学校でも、社会でも、自分を押し殺して周囲に合わさないといけない。そう信じ込まされて、本当の自分を見失っているかもしれません。
自分にたいして、ありのままに生きると心が喜びます。そのように心が出来ています。魂は、自分自身の成長を喜びます。
<なりたい自分になれる>
本当にやりたいことであれば、努力が苦ではなくなります。努力が楽しみになります。寝ても起きても、個性を発揮できることが楽しいのです。
「好きこそものの上手なれ」という喩えがありますが、歌手、画家、サッカー、勉強、仕事、どんな部門でも好きなことに熱中すると、他人よりも上手くなれます。
他人よりも出来るようになると、周囲からも認められて尊敬されるでしょう。すると、自信が生まれ、後輩を指導したり、自分へのファンをもっと喜ばしたいと考えるようになります。一つのことを達成すると、人は精神的に成長して、更に上を目指すようになります。
(心理学者マズローの欲求5段階説)
この段階になると、すべてが楽しく、さらに実力が付き大きな成果も生まれるはずです。
ところが現実をみると、、
「なりたい自分」になった人は、ほんの一部の人たちだけです。どうしてでしょう?
<自分が信じられない>
なりたい自分になれない人の特徴は、「私はできない」と言います。自分には、能力もなければ、知識もない、お金もない、人脈もない、何もない。そのため、「自身がない」と信じているのです。
ところで、、「できない」とか「無い」というのは、誰との比較でしょうか?
自分より有る人と比べれば無いことになりますが、自分と同じか無い人と比較すれば、「私はできる人」です。
ところが、それでも自分自身を信じられないのは、それまでの悪い体験があるからです。
子どもの頃に頑張っても出来なかった、上司から「出来ない奴!」と叱られた。そういう体験があると、「私は何もできないダメな奴」だと信じ込むようになります。
その信じていることは、果たして真実でしょうか?
仏教(空の哲学)では、五蘊(ごうん:感覚、思考、感情、記憶、意志)には実体がないと言います。
頭で想像していることは妄想であり、妄想からは、悪い感情が生まれます。これを煩悩といいます。
この煩悩が、間違った意志決定を起こさせるのです。「無理だ」「できない」と言ってるのは悪魔の囁きなのです。それを信じていると、心に蓋がされ、芽を出さずに幸福の種は腐ってしまいます。
あなたが成功できないとか幸せをつかめなかったのは、煩悩が原因だったのです。
<煩悩が地獄へと誘う>
「なりたい自分になる」ことを妨げる精神作用を煩悩といいますが、人間の欲望は、身体や心を悩まし、かき乱し、わずらわせます。
想定外の障害が発生すると、人は冷静さを失いパニックを起こします。思考が停止して判断力を失うと、行動すればするほど状況は悪化します。
どうすれば、事態は改善できると思いますか?
その解決法は、たった一つ、「冷静になる!」です。
ところが、その単純なことをできないのが、人間の愚かさです。どれだけ賢い人でも、最後は感情が理性に勝ちます。
冷静を失う主な原因は、我欲と自分自身への執着です。我欲や執着が強くなると、貪り(むさぼり)・怒り・愚かさが表面に出てきます。そして、誤った意志決定を犯し、愚かな言葉や行動をしてしまい、取り返しのつかないことになるのは、よくあることです。
<煩悩を払いのけると幸せになる>
「煩悩」をなくすと、人はみんな幸せになれます。
ところが、そう簡単に、煩悩は簡単に取り除くことはできません。それは、本能である欲と信念(体験)が煩悩を発生させるからです。
仏教では煩悩を横におくために、心に「仏」を入れます。(仏や神を出します)
仏の心になると、煩悩は消えてしまうからです。その瞬間、今までのことが嘘だったように、苦しみから解放されます。
仏が現れると、神通力(潜在意識・潜在能力)が使えるようになるので、次々と不思議なことが起きてきます。それは、嬉しいことです。
ところが、忘れた頃に、煩悩は自然発生的に出てきます。
煩悩は妄想なので、周囲の状況や自分の状態が変われば、それが引き金(縁)となって、何度でも出てきます。これが問題なのです。
<現在の生活をしながら幸せになるには>
煩悩に負けないようにするためには、(環境が整っているお寺に)出家するのが良いかもしれません。
しかし、一般人の私たちには家族や仕事があり、修行僧のような戒律の厳しい生活など到底無理な話です。
それだけではありません。現在のような煩悩にまみれた社会で生活すると、煩悩から自分自身を守ることさえ厳しいのです。
だからでしょうか?
高い覚りは、在家の生活からしか得ることはできないと言われるのでしょう。(※煩悩即菩提)
それほど、在家で(型にはまった)仏教を行じるのは難しいことなのです。
だから、在家仏教で一番のネックになるのは、続かないことです。
始めにやる気を出しても、続かなければ意味がありません。仏道を続けるためには、在家でもできるように、簡単であることが重要なのです。
<新解説ブッダの教え>
ブッダの教えの真髄は、「みんなが楽しい生活をおくれる」ことです。
幸せになるためには、仏に手を合わせて「仏と一体化する」ことが基本になります。仏性を目覚めさせないと、煩悩に負けてしまうからです。
沢山の経典に書かれている方法は、その時代、その人に応じて説かれた方便の教えです。ブッダは、「方法」に囚われてはいけない(重要なのは覚り)と、経典の中で説いています。
ここで重要なのは、仏を信じる念です。
一心に念じることで、仏の声を聞くことができます。
仏教は、ブッダが誕生以前からあったヨーガやバラモン教から進化した教えです。そのため、真言(マントラ)や瞑想が説かれています。
真言(マントラ)には仏と一体化する力があり、瞑想は自分の心の状態を知ることができます。
また、ヨーガの呼吸や運動を行うと心身を健康にできます。
幸せになるには、知識だけではなく実践が大事なのです。
しかし、これらの方法を本格的に行っていると、本来の仏道(覚り・幸福への道)を忘れて離れてしまうことになります。
これらの方法は、あくまでも仏道のための補助的な行為です。仏教を実践しながら学ぶと、より早く覚りを得るようになるので、上手に使うといいでしょう。
多忙な私たちでも簡単にできて、効果のある方法だけを実践されることをおすすめします。仏教の目的は「物心両面で幸福になる」ことを忘れないようにしましょう。
自分自身が幸せになると、「他人を幸せにしたい」と思うようになります。それが、ブッダの究極の願いでもあります。
下記のレポートには、在家生活をしながらでも幸福になれる、簡単な方法をご紹介しています。ご参考にしていただければ幸いです。
アメブロ『ブッダの教え』の中で、魂のコーチングをしています。是非、ご覧になってください。
ブログ|凡人だから覚れるブッダの教え (ameblo.jp)
スピリチュアル・コーチ 上林登
(スピリチュアルとは:魂の/精神的な/霊的な/活気的な)