「神力」はコミットメントから得られるもの
ブッダは神力を与えてくれます。
しかし、神力はただで得られるものではありません。
それでは、どのようにすれば神力を得られるのでしょうか?
(訓読)
此の無量無辺百千万億阿僧祇の世界を過ぎて国あり娑婆と名く。是の中に仏います、釈迦牟尼と名けたてまつる。今諸の菩薩摩訶薩の為に、大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。汝等当に深心に随喜すべし。亦当に釈迦牟尼仏を礼拝し供養すべし。彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って合掌して娑婆世界に向って、是の如き言を作さく、
南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と。種々の華・香・瓔珞・幡蓋及び諸の厳身の具・珍宝・妙物を以て、皆共に遥かに娑婆世界に散ず。所散の諸物十方より来ること、譬えば雲の集まるが如し。変じて宝帳となって遍く此の間の諸仏の上に覆う。
時に十方世界、通達無碍にして一仏土の如し。
(現在語訳)
天から声が聞こえた
「友よ、幾千万億という計り知ることもできない世界の向こうに、娑婆という世界がある。ここに釈迦牟尼という仏がいる。 今、諸々の菩薩のために最高の教えである法華経を説いている。友よ、歓べ。釈迦牟尼仏を礼拝し、供養しよう」十方世界の衆生は、みな娑婆世界に向かって合掌して唱えた。
「南無釈迦牟尼仏 南無釈迦牟尼仏」そして種々の花、香料、宝玉、旗等の飾りを娑婆世界に降らした。それらが十方世界から雲のように集まって、 諸仏の上に散ってきた。このとき十方世界は一つの仏国土のようになった。
引用:要約法華経 如来神力品 第二十一
天からの声は、脳の中に聞こえてくる心の声のことです。
娑婆世界というのは、「生老病死の苦」でもだえている状態をいいます。
菩薩の最高の教えというのは、「大乗(慈悲喜捨)」の教えのこと。人生の障害から脱するためには、大乗で生きることで可能になります。
南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と(心の中で)合唱するというのは、大乗の教えを実践することをコミット(決断)する証です。
人は、最高の目的・目標に決断すると、目から鱗が落ちたように脳(心)がスッキリします。その状態のたとえです。
この経典では、この世で生きる上での「決断」の重要さを教えてくれています。
ブッダの教えを分かりやすくお伝えするために、物語を書いています。是非ご覧になってください。