楽しく生きるためのブッダの教え

「ブッダの教え」を元にして、悩みや恐れなどのストレスを取り除き、残りの人生を楽しく生きるためのブログです。解釈方法は、哲学、脳科学、心理学、そして、直感によるものです。経典の直訳とは異なっていることをご理解の上お読みくだされば幸いです。

ブッダの教えの原点である「信じる」を知らないと幸福にはなれません

信仰心にはレベルがあります。

そして、信仰のレベルによって、現在の状態(健康、経済、家庭、人間関係、能力など)が表に現れているのです。

 

決して、信じれば良いというわけではありません。

信じ方には、智恵が必要です。それをご説明しますね。

 

如来の滅後に於て 仏の所説の経の
因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん
日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く
斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し
無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん

引用:妙法蓮華経如来神力品

 

すべての方便は、一乗(最高の悟り)に到達するためです。

ブッダの教えでは、声聞乗(教えを聞いて悟ったと思う人)、縁覚乗(一人修行して悟ったと思う人)、菩薩乗(他人のために行動して悟る人)の三乗が出てきますが、それらは、すべて最高の悟りへ導くための方便だとハッキリ言っています。

 

仏教にかぎらず信仰する人たちには、信じるレベルがあります。

1、 この世に神力など不思議なことはないと信じている人。
2、 不思議なこと(神力)を信じているが、自分には起きないと信じている人。
3、 不思議なこと(神力)を信じている。それが実現するのは神頼みが一番だと信じているため努力をしない人。
4、 不思議なこと(神力)を信じているが、自身にはそれ以上に恐怖(悪霊や鬼)が起きると信じている人。
5、 他人のために行動すれば、功徳が得られると信じている人。
6、 ブッダの教えが身に付いているため、何も考えなくても善の行為が出来てしまう人。

 

新興宗教団体に入っている人の中には、「友達が苦労から救われるよう願いをかけたら、宝くじが当たった!」という人や、「他人のために動くことを怠けて仕事ばかりしていたため、癌になった!」という人もいます。

 

宝くじは、偶然当たっただけで、友達を救うこととは関係ないことです。ところが、人は関連付けをする習性があるため、無理やり宗教と結びつけたのでしょう。

信仰をしていない人でも、癌になると悪いことと関連付けするかもしれません。しかし、癌になるのは、普段からの悪い食事や生活習慣が原因です。

 

すべての結果には原因があるブッダは断言しています。

願ったから幸福になるというのは、間違いを起こしやすいです。

たとえば震災や台風で多くの神社やお寺が破壊されました。これをどう説明しますか?

神社やお寺には、沢山の信仰深い人たちが平和を祈願しています。それなのに、その母体となる施設が破壊されたのです。

この事実は、人間(凡人レベルの悟り)では測れない、自然の力が働いた結果によるもの。

じゃあ、自然の力に対してはどうすることもできないのか、というとそうでもありません。過去の体験や歴史から学び、できるだけ予防することが大事です。出来る限りの予防をすることで、リスクを下げることは可能になるのです。

この世の中のすべてに、原因と結果の法則が働いています。それを信じないのは、神や自然よりも自分のほうが偉いと勘違いしている人間の低いレベルからなのです。

素直になると、真実がすっと見えるようになるため、幸福になるのが簡単になります。

それは、他人からは、不思議な力(神力)が働いているように見えるのでしょう。だから、「あの人は運がいい!」と言われるのです。


さて、あなたはどのレベルの信仰を持っていますか?

どれが悪いことはありません。でも、最高の悟りに達するためには、現在どのレベルにあるかという認識が重要です。

信仰のレベルを上げれば上げるほどに幸福度がアップします。

「神力」はコミットメントから得られるもの

ブッダは神力を与えてくれます。
しかし、神力はただで得られるものではありません。

それでは、どのようにすれば神力を得られるのでしょうか?

(訓読)
 此の無量無辺百千万億阿僧祇の世界を過ぎて国あり娑婆と名く。是の中に仏います、釈迦牟尼と名けたてまつる。今諸の菩薩摩訶薩の為に、大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。汝等当に深心に随喜すべし。亦当に釈迦牟尼仏を礼拝し供養すべし。

彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って合掌して娑婆世界に向って、是の如き言を作さく、
 南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と。

種々の華・香・瓔珞・幡蓋及び諸の厳身の具・珍宝・妙物を以て、皆共に遥かに娑婆世界に散ず。所散の諸物十方より来ること、譬えば雲の集まるが如し。変じて宝帳となって遍く此の間の諸仏の上に覆う。
時に十方世界、通達無碍にして一仏土の如し。


(現在語訳)
天から声が聞こえた
「友よ、幾千万億という計り知ることもできない世界の向こうに、娑婆という世界がある。ここに釈迦牟尼という仏がいる。 今、諸々の菩薩のために最高の教えである法華経を説いている。友よ、歓べ。釈迦牟尼仏を礼拝し、供養しよう」

十方世界の衆生は、みな娑婆世界に向かって合掌して唱えた。
「南無釈迦牟尼仏  南無釈迦牟尼仏

そして種々の花、香料、宝玉、旗等の飾りを娑婆世界に降らした。それらが十方世界から雲のように集まって、 諸仏の上に散ってきた。このとき十方世界は一つの仏国土のようになった。

引用:要約法華経 如来神力品 第二十一

 

天からの声は、脳の中に聞こえてくる心の声のことです。

娑婆世界というのは、生老病死の苦」でもだえている状態をいいます。

菩薩の最高の教えというのは、「大乗(慈悲喜捨」の教えのこと。人生の障害から脱するためには、大乗で生きることで可能になります。

 

南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と(心の中で)合唱するというのは、大乗の教えを実践することをコミット(決断)する証です。


人は、最高の目的・目標に決断すると、目から鱗が落ちたように脳(心)がスッキリします。その状態のたとえです。

この経典では、この世で生きる上での「決断」の重要さを教えてくれています。

 

ブッダの教えを分かりやすくお伝えするために、物語を書いています。是非ご覧になってください。

ameblo.jp



人には精神レベルがあり、そのレベルで考えるので問題が解けない

大乗の教えは、誰でも理解できるものではありません。

言葉の意味が理解できたとしても、心の深い部分(仏性、潜在意識)で納得するのは難しいのです。


何故かというと、、、 

 

如来は方便をもって、声聞乗、 辟支仏乗、 菩薩乗の三乗を説くのである。
声聞乗は、諸仏より法を聴いて精進し、 三界を抜け出さんとするのであり、山羊の車にあたるだろう。

辟支仏乗は、諸仏の教えに会うことなく、独り修行して縁起の法を知り、自ら火宅を抜け出さんとするのであり、鹿の車にあたるだろう。

菩薩乗は、諸仏より法を聴いて修行を重ねるが、衆生の有様を憐れみ衆生に利益をもたらそうとして精進するのであり、牛の車にあたる だろう。

この世界はすべて如来のものであり、如来は父であり、衆生は子である。三界は火宅である。どうして子に劣った車を与えるだろう。長者のように、 初めは三車で導き、最後は七宝で飾られた最高の車を与えるのである。すなわち 大乗である。このように諸仏は方便により、 一仏乗を説くために、三乗をもってするのである。 すべて衆生を阿耨多羅三藐三菩提に導くためである
引用:要約法華経 譬喩品第三


人生は修行の場です。
良い事もあれば、悪い事も、障害が起きることもあるのが、人生です。

人は、その時々の出来事によって、学び成長します。

始めの成長レベルは、障害や不幸から抜け出るために、他人からの教えを聞いて学びを得る。
2番目の成長レベルは、「原因と結果」を理解しているので、どんな時でも自分自身で解決するために苦労して学びを得る。

そして、成長レベルの頂点では、他人のあり様を見て悲しみ、その人たちを助けるために努力する。(※この時、自分の成長など考えていないが、他人のために行動することによって、結局自分の成長につながる。)これが大乗というものです。

 

人は、現在の精神レベルで、目前の問題を解決しようとします。しかし、小学生が学んでいない中学校のテスト問題が解けませんよね。

大事なのは、中学生になってから問題を解くのか、それよりも、分からない中学生に問題の解き方を教えてあげることです。(※他人に教えることが学びのコツ)


このように、大乗の教えを理解することは、「分かっているけれど、自分のことが大事!」という人には困難なのです。

それゆえ、この経は智あるものに説け、浅識 のものには説くな。 この経は菩提心をもった人びとのなかで、学識のある人に説け、

信厚き人に説け、人のために身命を惜しまない人に説け、凡愚を 離れて山林に住する人に説け、悪友を遠ざけ善友と親しむ人に説け、戒を守り真にこの経典を求める人に説け怒らず柔和な人に説け、 自在に法を説ける人に説け、大乗の経典のみを求める人に説け、 六師外道を求めぬ人に説け。このような菩薩たちはよく信じ、 よく理解するからである

と、ブッダは教えられています。

大乗の教えは、このブログを読んでいるあなただから分かることなのです。

 

ブッダの教えを分かりやすくお伝えするために、物語を書いています。是非ご覧になってください。

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神さまのパワー「神通力」がほしくないですか?

神様の力があれば、何でもできます。

どんな苦境からでも救われます。どんなに難しい目標でも実現できるでしょう。


神様の力だから当然です。

そのパワーを自由自在に使うことが可能だとブッダは教えてくれています。

 

(訓読)
衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず 而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く 我常に此に住すれども 諸の神通力を以て 顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ 


(現在語訳)
 わたしは、衆生を救う為ならば、その手段の一つとして、死んだ事にしてみせたりもするけれど、しかし、実際には死んでなどおらず、いつもこの世に生きて法を説いているのです。
 
わたしは、いつもこの世に生きているのですが、諸の神通力を使って、心が逆さまになっているような衆生の眼には、すぐ近くにいてもわたしの姿が見えないようにしているのです。

 

(訓読)
故に為に身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ 其の心恋慕するに因つて 乃ち出でて為に法を説く 神通力是の如し 阿僧祇劫に於て 常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあり


(現在語訳)
わたしは身を隠すことによって、衆生に仏を求める心を引き起こさせるのです。そして、衆生の心に起こった仏をあこがれ慕う気持ちひかされて、仏は姿を現して、衆生のために法を説くのです。

 仏の神通力とはこのようなものであり、無限の過去から未来まで、いつでもこの世の霊鷲山および他の諸の世界に存在しているのです。

引用:全訳 如来寿量品第十六

 

ブッダが存在する霊鷲山とは、心の中のことです。
だから、ブッダが現れるのは、あなたが会いたいと願ったときだけです。

あなたの心に、「ブッダに近づきたい」という考えがないと、一生ブッダに会えません。
しかし、いつもブッダに近づきたい気持ちがあれば、ブッダは形を変えて現れます。

そして、あなたを救い成長させるための「守護、言葉、力」を与えてくれます。

それを神通力といいます。

感謝の練習をすることで悟りの達人になれる(なんでも出来るようになる)

昨日のブログで、「大慈大悲」についてお話しましたが、妙法蓮華経提婆達多品第十二の中に「慈悲喜捨」という言葉がでてきます。


ブッダの教えの中でも、この慈悲喜捨の実践は重要項目ですので、今日は「喜捨」についてお話したいと思います。

慈悲のおさらいをすると、友達のように仲良くしよう。」、「困っている人があれば助けてあげよう。」でした。


喜捨」はというと、「喜」を直訳すると「他人の喜びを自身の喜びとしよう。
」は、「冷静になろう。」です。


言葉で言うと簡単ですが、いざ実行するとなるとかなり難しいですよね


たとえば、癌で入院しているとき、会社が倒産しそうなとき、、、他人の喜びを喜んであげなさい。と言われても反発する方が多いのではないでしょうか。


同様に、困って抜け道を考えて熱くなっている時に、冷静になりましょうと言われても、余計にいらだつかもしれませんよね。


どんな状態にあっても、これが素直に聞けて実行できるのは、すでに悟りの境地にあるブッダや菩薩といわれる人たちだけです。

私たち凡人は、まだその境地にないので、「分かっていてもできない」のが普通です。

 

それでは、どうすれば、ブッダの悟りの境地になることができると思いますか?

それは、練習です。

前にもお話しましたが、脳は状態によって事象の受け取り方が異なります。これが問題なのです。だからどの状態でも、「物事を良いように受け取れる脳」を作ればいいのです。


具体的には、「喜ぶ」ことを習慣にします。まずは、自分自身のこと、身近なこと、なんでもいいので「感謝」するのです。

「ありがとう」、「うれしい」、「おいしい」、「気持ちいいい」、「助かった」、「ラッキー」、「ナイス」、「グッド」、「生きてることがラッキー!」、何でもいいのです。
感謝が多ければ多いほどいいです。それが、「喜」の習慣になるからです。

この感謝の習慣が身に付いてくると、「不安や恐怖に襲われている時でも、その中に良い事を発見できる能力」がつきます。

心が折れそうな時、失敗して熱くなっている時、どんな時でも「感謝」を見つけることができれば、冷静になれるものです。

そして、感謝は潜在意識に働きかけ、新しい道を教えてくれると、ブッダは教えてくれています。


慈悲喜捨の達人になるために、まず「感謝」の達人になりましょう。

 

その言葉から何を連想するかによって将来の結果が見える

 ブッダの説法は、始めから終わりまで一貫していることがあります。

それは、

だから、因縁果の法則によって、仮に生じても消えてしまう。だから、それに囚われてはいけない。

 

この真実を知らずして、他の教えを理解することはできないでしょう。

 

(訓読)無量義経説法本
如来の得道より以来 四十余年、常に衆生の為に 諸法の四相の義、苦の義、空の義、無常、無我、無大、無小、無生、無滅、一相、無相、法性、法相、本来空寂、不来、不去、不出、不没を演説したもう


(現代語訳)
世尊は、悟りを得られてから、四十余年の間、常に人々のために様々な教えを説かれてきました。それは、縁起によるものは生住異滅という変化をするという「四相の義」、縁起によることは苦であるとする「苦の義」、事物・現象は、縁起によって仮に生じ、滅するので、そのものには実体はないとする「空の義」、縁起によって生滅するものは変化するという「無常の義」、自分という認識、自分のものという認識を否定する「無我の義」、大・小にとらわれずに「無大・無小」と観ること、生・滅にとらわれずに「無生・無滅」と観ること、真理は一つであるという「一相」、有無の相を超越した「無相」、一切のものごとの真理としての性である「法性」、真理としての相である「法相」、本来は空であり寂であるとする「本来空寂」、そして「不来・不去」、「不出・不没」という涅槃の境地を演説されてきました。
引用:無量義経説法本

ブッダが説かれた教えでは、「」が基礎にあります。

脳(心)の中は、元々何も存在しないが、いつしかどこからかともなく考えが出てくる(有る)。

それが元になり、想像が想像を生み、感情が起きる。すると、本当に苦しさや期待を感じることになります。

そして、因縁果の法則から、想像から現実の結果ができるので、これが問題です。

 

これだけだと難しそうに聞こえるかもしれませんが、たとえば、「」がそうです。夢で見たことは、目が覚めると馬鹿げた現実離れしたものです。

しかし、夢を見ている時には、怖い、辛い、悲しい、、、または、嬉しい、楽しい、、、
でも、目が覚めると、それらは消えていきますよね。


実は、夢と同じことが、日中でも起きていると知ったらどうでしょうか。

人は一日に2万~6万回思考するといわれていますから、起きている時に夢を見ていても変ではないのです。

この時の夢(想像)は、寝ている時ではないので、現実に近いリアルな夢です。そのため、余計に感情が入ってしまうのです。

 

どうしてこのような事が起きるかというと、人の脳は言葉から連想をするようになっているからです。

たとえば、「コロナ」という言葉を聞くと(見ると)、今なら新型コロナウイルス対策を連想するのが一般的です。

しかし、年配で車が好きな人なら、若い頃に乗っていたトヨタ自動車のコロナを思い出すかもしれません。

そして、連想はここだけで止まりません。その当時付き合っていた友達や彼女との思い出が浮かぶようになるのです。

その思い出が良い事であれば、「コロナ」は良い響きになるのです。

しかし、トヨタのコロナで交通事故した体験があれば、「コロナ」と聞くだけで不安と恐怖に襲われてしまうかもしれないのです。

 

このように、人は言葉を聞くと(見ると)、自分の体験や価値観に合わせて連想をします。しかし、それが問題になっていることが多いのですが、連想を止めることは難しいです。

それでは、どのようにすれば良いと思いますか?

 

それは、昨日のブログに書いた「如是相」です。

結果を変えるためには、まず相(姿・形)を変えることが重要です。

顔を上げる、楽しい顔をする、姿勢をよくする、大きな声を出す、楽しい声を出す、良く動くということを意識的に作るのです。


状態を良くすれば、言葉を良いことに結びつけるし、悪い状態であれば悪いことを連想するからです。


状態を変えれば、連想も変わるは真実です。

現状を変えるのは難しいことではない!一つ変えることができれば全てが変わる

 今日から妙法蓮華経に入ります。

序品第一は、以前のブログでお伝えした「脳の中の出来事で、ブッダの説法を聞きに神々と菩薩が集まった様子」ことと重複するので省略します。

 

ということで、
妙法蓮華経方便品第二です。

(訓読)
止みなん、舎利弗、復説くべからず。所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。

(現在語訳)
止めておこう。舎利弗よ、もうこれ以上、方便(教化の手段としての法)を説くことはできないのだ。それはなぜかと言えば、 仏が体得されたものは、一番に希なもので理解し難い法である。しかも、唯、仏と仏とのみが、理解でき、全ての存在の真実のありのままのすがたを、よく極め尽くすことができるのである。この法を諸法実相という。
引用:妙法蓮華経方便品第二

 ブッダと弟子の舎利弗との会話です。
今まで色んな方便を使って人々を導いてきたが、それではブッダの真の悟りが伝わらない。だから、これから悟り得た真実を教えるとのブッダの決意です。

(訓読)
所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。

(現在語訳)
一切万物の真実ありのままの相を明かすと、そのすがたとは次のようなものである。即ち、全ての存在の、すがた・形(如是 相)。本来もっている性質(如是性)。相と性のよりどころとなる本質 (如是体)。潜在的な能力(如是力)。作用・はたらき(如是作)。直
接的原因(如是因)。間接的条件(如是縁)。原因によって生じた結果 (如是果)。結果が具体的に現れでること(如是報)。相(本)から報 (末)までが究極的に一貫し平等であること(如是本末究竟等)。以上が諸法実相の説明である。

引用:妙法蓮華経方便品第二

 
原文を直訳すると、上の訳になるかもしれませんが、私は次のように解釈しています。

そのような顔や姿(笑う、平静、怒る、つらい、悲しい)をしているものは、
このような内面・思考習慣(価値観、ルール、信念、自己イメージ)を持っていて、
このような人格(体調、状態)であり、
このような能力(スキル、知能、運動能力、知識、感性)を持ち、
このような考え方や行いをしている。そのため、、
このような原因をつくり、
このように網の目でつながっているの影響によって、
すべてが、このような結果になっている。
それは、習慣と時間の経過によって、さらに大きな結果を生むことになる。

これは、良いことも悪いことも同じです。
しかし、どこかを変えれば、全ての結果も変わるのです。

だから、

欲しい結果を明確にすれば、
今、何を行えば良いのか分かります!